Stay Home②

本棚から引き出した本を、除菌ウエットティシュで1冊々拭っていると、夢中で読んでいた作家の方で、お若くして亡くなられていたことを思い返してしまった。次巻はいつかなと思っているうちに訃報に接したの思い出しました。

【内海文三】この方の作品を知ったのは、県立図書館で借り出した『灰姫・鏡の国のアリス(1993年)』。図書館で借り出す際、知らない作家の作品は「読むリズム」と、行儀が悪いのですが最終頁付近の「雰囲気」である程度判断しています。
この方の作品は、たぶん全作品を県立・市立両図書館で借り出し読んでいるはずです。本棚にあるはずだった『されど修羅行く君は(1996年)』と、矢作氏の『マンハッタン・オプ』は共に「私立探偵」が捜査中。
応化戦争期シリーズ『裸者と裸者(上下)』『愚者と愚者(上下)』。子供たちが年少から戦いの渦中に身を置く、長い長い戦いと成長の物語でしたが、内海氏が2007年59歳でお亡くなりになり『覇者と覇者(2008年)』が未完として発刊されています。古本屋さんで全巻調査中です。

【藤原伊織】この方の作品は媒体に名が挙がったころ図書館で探し出したものです。『テロリストのパラソル(1995年)』、江戸川乱歩賞と直樹三十五賞を同一作品では初の受賞でした。その後『ひまわりの祝祭(1997年)』など、多くを図書館にお世話になりました。藤原氏も2007年59歳でお亡くなりになりました。今『手のひらの闇(1999年)』『名残り火(2007年)』『シリウスの道(2005年)』が本棚に並んでいます。

風間一輝 『今夜も木枯らし(1997年)』この本は古本屋で購入しています。そもそもは図書館で『片雲流れて(1995年)』を借り出し、以来ほとんどを図書館から借り出し読んでいました。でも図書館ですから全作品は揃っていません。1作目『男たちは北へ(1989年)』は未読、せめて絶筆作品『今夜も月は血の色(2000年)』は「今夜も木枯らし」の続編をamazonで。風間氏は1999年56歳でお亡くなりになっています。

Stay Home①

自粛生活の中、読書でもと本棚を眺めると、結構古くから読んでいる作家の作品が並んでいる。最初から読み直そうと、よい機会なのでまずは清掃から。

『平井和正氏』『狼の紋章/狼の怨歌(1973年)』と、『狼男だよ(1974年)』アダルト・ウルフガイシリーズ全巻。この本の影響でしょう、上野公園へ狼を見に行った記憶があります。残念ながら小柄な「タテガミオオカミ」で、種としては狐に近いとのことでした。
あの『8マン』の原作者と知ったのは、ウルフガイ・シリーズの何れかの後書きでした。

【矢作俊彦氏】『リンゴオ・キッドの休日(1978年)』。これは刑事二村永爾シリーズで、『真夜中へもう一歩』、『THE WRONG GOODBYE』、『フィルムノワール/黒色影片』と続いた。文芸誌「新潮」に2018年1月号から新連載の『ビッグ・スヌーズ』が、退官後の新シリーズとして始まっています。単行本が待ち遠しい。この方の作品を初めて読んだのは、図書館で手に取った『神様のピンチヒッター』でした。以来ほとんどの作品を読んできましたが、引っ越しの際…。『マンハッタン・オプ1・2・3』が今本棚にない。

【夢枕獏】『幻獣少年キマイラ(1982年)』キマイラ孔シリーズ。残念ながら2002年までソノラマ文庫でシリーズ刊行された『キマイラ昇月変』が本棚では最後になっています。その後ソノラマノベルスで再刊行されていますが、2019年最新刊『キマイラ望郷変』を含め6作品が未読です。また本シリーズのイラストを描かれている「天野喜孝氏」を初めて知りました。

【北方健三】『さらば荒野(1983年)』ブラディー・ドールシリーズ。この他にも多くの作品が出版され、北方作品に嵌っておりました。

【原寮】『そして夜は甦る(1988年)』渡辺探偵事務所の沢崎シリーズ。寡作の方だ。五作目『愚か者死すべし(2004年)』から待つこと15年。6作目『それまでの明日』が2019年の師走にわが本棚に。今3作目『天使たちの探偵(1990年)』を「除菌ウエットティシュ」を脇に読み返しています。

【大沢在昌】『新宿鮫(1990年)』から約30年。短編集『鮫島の貌』を含み、12作目『暗約領域(最新刊2019年)』までが並んでいる。その他にも『狩人シリーズ』、『魔女シリーズ』、『サラリーマン坂田シリーズ』や単発作品と結構な冊数が並んでいる。大沢氏の本を読み始めたのも、図書館で手にした『深夜曲馬団(1985年)』からで、長いお付き合いになります。それにしても「昌」が。

『温泉館大地乃湯』

『温泉館大地乃湯』大分県竹田市久住町
奥豊後グリーンロード沿いにあるパルクラブの敷地内に、温泉・足湯施設や野菜工場があります。その中で温泉施設『大地乃湯』をご紹介します。
道沿いに分かりやすい看板が設置されています。
泉質は「炭酸水素塩泉』でチョット緑褐色です。
若干のスベスベ感がありますが、匂いはすみません鼻炎で分かりません。
神経痛、筋肉・関節痛、五十肩などに効果があるそうです。
檜張りの内湯・石造りの露天風呂共に清潔で私には長湯ができる温度でした。
入り口付近に足湯の施設があり、清潔な足ふき用のタオルも用意されており心配りに感心します。
温泉館の背後には食事施設が併設されています。

『大地の湯』入り口の看板が出ています。
『大地の湯』の建屋です。お風呂のほかに、お土産、休息室も揃っています。
足湯の施設もあります。
足湯にはタオルも備えられています。
内風呂です。
大きな露天風呂です。屋根付きですので雨の日もOK
露天の奥にある中くらいのお風呂です。
お風呂上がりの休息室で軽い食事もとれます。

ペットボトルを積み込んで❸

『霧島神社の名水』

大分県由布市湯布院町塚原 霧嶋神社境内
県道616号線、塚原高原を湯布院から別府市への途中に大きな鳥居と『霧島神社の名水』の看板が立っています。霧嶋神社境内にある湧水で『大分の名水50選』の一つに挙げられています。
知る人ぞ知る水汲み場で常に賑わうという雰囲気ではありませんが、一人二人と訪問客は絶えません。水汲み口はこじんまりと2本の流れとなっています。
「飲み口が柔らかく、甘いと評判」との案内ですが、ごめんなさい直接飲むと冷たくてわかんない!
境内や水汲み場は地元の方が定期的に清掃活動しています。水を汲まれた方は、100円以上をお賽銭としてお願いします。
お願い看板もありました。

県道616号線沿いに、案内看板が立っています。
この大鳥居をくぐると左に導入路があります。
境内への導入路です。

石碑に「神社と村落の由来」が刻まれています。


この霧島神社では400年以上の歴史がある『 かかあ天下祭り(甘酒祭り)』と呼ばれる、女性が客人となり男衆が接待するというユニークな祭りが毎年12月に行なわれています。

苔むした手水社
2本ある水汲み口の下段
こじんまりとしていますが水汲み口の全景です。

同じ県道616号線沿いに『名水ゆふの水』という冷鉱泉水を汲める所もあります。こちらは有料となっていますが人気です。

古い水夫たち

2019年6月年金問題が再浮上してきました。
あまりにも、あまりにも・・・な議員さんたち。
以降の文章は2007年に掲載したコメントです。

・・・
吉田拓郎が1970年にシングルリリースした「イメージの詩」。古い古いその歌詞の一節が最近みょうに気にかかっている。1995年リリースされたアルバム「古い船を動かせるのは古い水夫じゃないだろ」のタイトルになったその歌詞である

いま、起業家が持て囃されそれぞれの分野で新しい海に漕ぎ出している。わが国の経済発展の一翼を担い、また期待されてもいる。しかし次代を担う新しい船長に脚光が集まる中、その船長やかつての船長に不祥事が多発している。

消費者や高齢者の生活を省みない、政治家や企業の行いはここ数年枚挙にいとまがない。それは幾多の困難を乗り越え母港で船を下りた古い水夫たち、その安住の地が足元から揺らいでいる。5000万件にも上る宙に浮いた年金納付記録である。

永く続いているべき人生の航跡を余りにも単純なミスで消し去られてしまった。その無念さは察して余りある。
永い旅の末、許されるべき生活を蝕む新しい荒波が打ち寄せ、もはや古い水夫はかつての航海を懐かしむ事無く、新たな出航を余儀なくされた。永い航海の末の苦さと培った英知を友とし。

長い詩の中、その一節はこう結ばれている「古い水夫は知っているのさ 新しい海の怖さを」と。
・・・
2019年6月、航海を共にしていたはずの船長は海図を捨て去り、燃料が残っていないとの手紙を古い水夫の手元に残し船を降りた。

ペットボトルを積み込んで❷

『水の駅おづる』

『水の駅おづる』(竹田市直入町)
庄内バイパス210号大分市を背にし大滝を左折、豊後街道30号にて「水の駅おづる」へ。休日ということもあり早めに出発。
約半年ぶりでしたが道が新しくなっていてビックリ!
十数年前は車がすれ違えないほど狭い道幅で対向車に注意を払ったものです。
気疲れすることなく到着、がいっぱいです。
1台移動したあとに滑り込新しい水汲み場で水汲みです。写真にもありますが当初の水汲みは道路の反対側で水汲み口が少なくチョット不便でた。
湧水茶屋で食事をとも思っていましたが、お客様でいっぱい写真も失礼かと思い上部だけ1枚。

新しい水汲み口がそろっています。
十数年前はこちらの水汲み場しかなく備え付けのホースで水を流し込んでいました。
こちらの水汲み口も古いです。隣に水質の明細が表記されたボードが立てられています。
道を隔てた建物にある湧水茶屋は豆腐の専門製造所です。おぼろ豆腐や豆腐、厚揚げなど店先で販売しています。また食事も提供されており、うどん、カレー、とり天など手軽なメニューです。
特に豆腐を使った『湧水定食』はとっても美味しいです。

戦争遺構めぐり❶

城井1号掩体壕

宇佐海軍航空隊跡地にある遺構です。1995年に平和のシンボルとして宇佐市の史跡に指定され公園として整備されました。掩体壕には国東沖から引き上げらえたゼロ戦のエンジン部が展示されており、近くには特攻隊員の名前を記した石碑や記念碑が設置されています。

宇佐市指定史跡「城井1号掩体壕」
戦時中空襲から守るために作られた格納庫。現在も宇佐平野には10基の掩体壕が存在しますが城井1号掩体壕を除き民間の所有になっています。
宇佐海軍航空隊跡と掩体壕説明
97式艦上攻撃機など配置されていた航空機
ゼロ戦のエンジン部
154名の特攻隊員の氏名を記した石碑と記念碑

カーナビに導かれ環状列石

謎のストーンサークル『佐田京石さだきょうせき
宇佐市内のお客様との打ち合わせで早朝高速を利用していましたが、たまたま午後からの打ち合わせになった日のことです。高速を利用しない場合には通常国道10号線を利用していましたがカーナビで高速利用や推薦路線を選ばず一般道を選定しました。その結果当然の最短コースです。
その道中に見つけたのが「佐田京石」と呼ばれる環状列石「ストーンサークル」です。米神山登山道入り口左右に広がる大きな石柱の群れで、登山道にも巨石群や山頂付近にも環状列石があるそうですが、ごめんなさいそこまでは。山頂まで90~120分かかるそうです。
このような遺跡、遺構は全国的に守られていますが、大分県にも国宝建造物、国指定重要文化財・建造物・美実品と多くの文化遺産、そして神仏習合発祥の地とされる国東半島の六郷満山文化と類を見ないほどの特色ある風土です(私見です)。国宝建造物「宇佐神宮」が鎮まる宇佐の地に隣接する「佐田京石」の地。カーナビに導かれ、巨石に触れ古き時からの流れに想いを馳せる時間を過ごせました。
駐車場もありトイレもとってもきれいに整備されていました。
近くには『佐田温泉』がありましたよ。
                      (宇佐市安心院町佐田)

米神山登山道入り口です。
低い山に思えましたが駐車場入り口に「登山届用紙」が用意されていました。
地上高2mから3mもある柱状の巨石が立ち並んでいます。
佐田京石は祭祀遺跡なのか、鳥居の原型なのか、仏教の経石かなどの説がありますが
はっきりとした由来は不明だそうです。
駐車場に設置されているトイレで多機能トイレも設置されています。
管理者の気配りがうかがえる清潔さです。

ペットボトルを積み込んで❶

豊の国名水15選/水の口湧水(杵築市山香町南畑)

国道10号線別府豊岡から左折、日出山香線で速水インターへ向かう途中に『水の口湧水』への案内板が掛かっています。小さいです。豊の国名水15選に数えられていますが、近年蛇口の数が増え水汲みしやすくなっています。その水量は日に約3,000から5,000トンにも及び、神社の傍らにある遊水地には清らかな流れが注ぎ込んでいます。

蛇口を6,7本取り付けてあるので水汲みしやすいです。
当日はご夫婦が多くのボトルに水汲みしていましたので写りこまないように端っこの1枚。
水の口湧水までの途中に『とうふ有ります』の幟がはためいていました。
この左奥に蛇口が設置されています。

wordpressでホームページ

wordpressで制作してみました。

wordpressのテンプレートを利用してホームページを作ってみました。
ホームページの制作を依頼されると、いつもコンテンツとラフデザインを制作し、外部スタッフにコーディングから月々の管理までをお願いしていました。
planning conetで実用新案を取得し販促展開を図る際、自社のホームページの必要性が生じ予算がないので試しに自作してみることにしました。
結構ジタバタしましたが何とかここまで持ってこれました。システムのグレード上プラグインできないので簡単な仕上がりですがとっても面白かったです。

スマフォがパソコンと同じような機能となり、SNSなどを通して簡単に情報発信できるようになっています。しかし、まだまだ情報発信のプラットホームとしてパソコンでのホームページは欠かせません。web上には多くの無料テンプレートが紹介されていますし、YouTubeでは制作の仕方が紹介されてもいます。自作にチャレンジしてみてはいかがでしょう。
・・・コネットのHPは本来のテンプレートの使い方をしていません。もっと高度なテンプレートでしたが、取敢えずの連続でここまで来てしまいました。
随時手直ししてまいります。