木浦鉱山の釜炒り茶と印度焙炉
「木浦名水館」からの帰路、道路沿いを流れる「中岳川」左岸の狭隘な傾斜地に、周囲の景観に紛れ込むような茶畑を見かけました。
あんな所にと思い広めの道路わきに停車し対岸から望むと、偶然にもご夫妻でしょうか茶畑の手入れに勤しんでいらっしゃいました。
傾斜地の作業では毎日のご苦楽もおありでしょうが、それはたまたま訪れた傍目からの要らぬ干渉かもしれませんね。どこにあっても働くという日常は貴いことだと晩成しないおっさんでも身に染みています。
後日改めて木浦鉱山のお茶に関して調べてみると、木浦鉱山では印度焙炉という特殊な道具を用いて、印度製法による釜炒り茶が作られていたとのことです。
印度という呼称の由来は、印度焙炉にはインロウという別称があり、碾茶製造用の焙炉の形式を印籠と呼んでいました。全国では方言で印籠のことをインドウという例もあることから、インロウ(印籠)がなまったものと考えられるそうです。また木浦には明治初期に日本初の紅茶伝習所が設けられたことで、紅茶の製造を*印度人から指導を受けたという「伝説」が生まれたことも印度製法という呼称の一因かもしれません。
*印度人という表現は茶業報告書に基づき掲載しています。



【参考資料】茶業研究報告
『大分県因尾・宇目地区における昭和前期の釜炒り茶』
熊本県農業研究センター球磨農業研究所・静岡産業大学総合研究所